こんにちは 前野です。
昭和47年 日本列島改造論の著者で当時破竹の勢いの田中首相が誕生。
その影響のため日本列島全体で土地の買占めと土地価格の上昇が発生、それにつれ一般物価も 上昇。
翌年には中東戦争勃発によるオイルショックがおこり、さらに物価上昇に拍車をかけ
、49年ごろには年23%程度の物価上昇率となり、狂乱物価と言われるようになった。
巷では便乗値上げと物不足が発生し、家庭の主婦のトイレットペーパーの買いあさり、
大工さんが建物建築用のかな釘がない、との情報も乱れとんだ。
私が最初の家を建てたのは この狂乱物価時代の昭和49年、結婚して3年目だった。
県外出身で、当時比較的高い家賃の住居に住んでいた私は、このまま土地の買占めと
土地価格が上昇すれば、一生家を建てられないぞ。.
どこか適当なところがあれば、掘建て小屋でもいい。家を建て、家賃の支払いのかわりに借金の返済をしよう、と決心した。
どこかよいところはないか、と探していたところ、新聞折込により某団地で手ごろな注文住宅が
販売されているのを発見、早速でかけ最初の家を建てることにした。
結婚3年目の私は子供も一人おり、余裕資金は全くゼロ。自己資金は全くないため生活
資金も上乗せした契約金額にしてもらい、契約金額の全額を借り入れにすることにした。
そのころ 銀行の住宅ローンはあまり一般的でなく、勤務先の会社と農協からの借り入れで
資金の全額を調達をすることにした。
当時の公定歩合は狂乱物価の上昇を徹底的に抑えるため、9%直前と極めて高く、そのため
農協からの借入金の利率も高く、なんと11.3%。
さらに、その後公定歩合が9%へ引き上げられ、農協からの借り入れ利率も11.6%となった。
現在の2%前後の住宅ローン利率にくらべ、途方もなく高く、狂乱するような利率だった。
ただ、狂乱物価の影響により、会社の春の 賃上げも25%程度とそれなりにあったため、
低レベルではあったものの、それなりの生活は維持できた、と思っている。
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